【狭心症】健康診断はいつもオールA!
そんな自分が救急車で3度も搬送…

大阪府 松田成也さん(49歳)

救急車で運ばれるほど、大きな発作を繰り返していた大阪府在住の松田さん。

それまでは健康診断も問題なく、30代までバスケットボールに熱中し、健康には自信があったという。そんな松田さんだが46歳のころ、心臓に突然の悲劇が起こったのだ。

根本的な治療はできず1ヶ月に1回も発作が起こり続け、もうだめだ…と諦めモードに。だが、ある研究に出合ったことをきっかけに、いまは一切発作も起こらず、安心した生活を送っているのだという。

予期せぬ心臓発作。
息子に助けられ救急車へ。

ー” 狭心症 きょうしんしょう ”。

「健康には自信のあった自分が、まさか病気になるなんて思ってもいませんでした。」

血圧もコレステロールも問題なし、もう健康診断はずっとA評価。だれがみても元気と思うような健康状態だったという。

そんな松田さんの心臓に異変が起こったのは46歳の夏。自宅で過ごしている時のこと。

「いつものように、朝起きてパンを食べようかなーと思っていた時のこと。突然、感じたことのないほど心臓が ”グッ” となったんです。でも1,2分でスーッと収まったんで、そのときは熱中症かなって。

でもそう思った15分後。また心臓がギュっと苦しくなったんです。もう力も全然入らないし、しゃべるのもしんどくてしんどくて。」

「なんだこれ?ってほど力が抜けていく。初めての感覚にびっくりでした。」

「自分ではもうどうしようもなくなって、寝ていた長男(当時17)を起こして「救急車…呼んでくれ…」と必死に伝えました。

でも長男から見ると、普段から疲れも見せず元気に過ごしているような私だったからか、当時のぐったりしている様子も、熱中症かな?程度に思ったんでしょうね。息子は笑ってましたもん(笑)」

そんな状況ではあったが、息子さんに救急車を呼んでもらい、奥様と息子さんとともに、救急車に運ばれた松田さん。

そこからが「狭心症」という病との、長い闘いの始まりとなった。

▼狭心症とは?

狭心症は大きく分けて「労作性狭心症」と「冠攣縮性狭心症」の2つがあります。

労作性狭心症

階段を上るときや運動など、身体が動いているときに発作を起こす。

冠攣縮性狭心症

就寝時や休憩中など、身体がゆっくりしているときに、冠動脈が痙攣することで発作を起こす。

同僚にも家族にも、
緊急時の薬を説明。

心臓の「バクバクッ」という違和感が多かったのは、寝ている時や横になっている時だった。

「救急車で運ばれるも、心臓の苦しさは病院についたころには治まっちゃってね。でもカテーテルで造影剤を入れる検査はしようということに。

そしたら『心臓の冠動脈、3本のうち真ん中のが詰まってるね。』と。そのせいで血管が細くなって、痙攣する” 狭心症 ” かも。と診断を下されました。『正直なんだそれ?』でした。血液が通っているだけかと思ってたから、血管が収縮しながら動いているってことにびっくりで。

冠動脈のうち真ん中は一番大事らしく、ここが詰まると死亡の確率が高くなると言われ、一気に怖くなりました。でも若いしステント手術はなしになってね。薬の処方をされ、日常生活は通常通りで大丈夫と言われました。」

手術とはならなかったものの、その日は入院をすることに。しかし、会社があるからと3日後には退院を希望した松田さん。さらには退院した翌日には会社に行ったのだという。

「大丈夫だろう!と退院した翌日には会社に行ったんです。でも、その日過呼吸になってしまって、それもあってかドキドキして、また苦しくなっちゃって発作を併発したんですよね。案の定、会社の同僚に救急車を呼んでもらうことに。」

「発作が起こったら助けてほしい」と会社みんなに伝えた上で勤務していたという。

その後も根本的な治療はできないまま、1ヶ月に1回の発作を繰り返し、気づけば7か月が経過。

「最初は朝だったけど、寝ている時の発作が多かったな。夜中目が覚めた時もある。でもいつなるかわからんし怖かった。」

同僚や家族にも、万が一発作が起こった時に助けてもらえるよう説明をしていたという。

「発作が起きたときのために、ニトロの場所を伝えるようにしてましたね。会社の机のここに。食卓の脇のここに。って感じで。奥さんと息子二人にもしっかり。」

しかしニトロでさえも、発作が治まらないこともあり恐怖は増すばかり。救急車に運ばれるのは、すでに3度目を迎えていた。

「7か月に3度も救急車…。もう何で自分が‥って。どないしたらええのって、辛くて仕方なかったですね。」